2004.12.17 第2回口頭弁論

2004年12月17日

小鹿島更生園在住の2人と、台湾楽生院在住の25人が、補償請求を棄却されたことを受け、この日午前9時30分から追加提訴を行いました。

提訴する台湾の原告、第2回弁論に向かう韓国の原告、そして日本のハンセン病回復者の3者が一同に会しました。

午後2時から、東京地方裁判所の103号法廷で第2回の口頭弁論が開かれました。

原告・被告双方の準備書面や書証の提出の手続きの後、女性原告が、車いすで証言台へとすすみました。韓国のヤン弁護士が傍らにしっかりと付き添います

女性は、10歳で強制収容され、母親と、交わす言葉すらなく別れたこと、子どもも大人もない、カマス作りや松の油とりの強制労働にかり出された体験を、ゆっくりと、明瞭な韓国語で述べました。一言一言、ヤン弁護士が日本語に通訳します。

そして、苛酷な労働の中で、健康だったからだを損なわれ、義足となるに至ったことを話しはじめると、女性の声は涙にかすれました。涙声で、手の障害故に勉強も続けられなかった悲しみ、もはや取り返しのつかない一生の苦しみを語りました。

続いて、原告代理人の大槻弁護士が立ち上がりました。大槻弁護士は、意見陳述の冒頭、「整然と立ち並ぶ居住舎。子どもの声が全く聞こえない、静まりかえった島。 監禁室。解剖室。火葬場。そして、日本のハンセン病療養所、長島愛生園のものと同じ「萬霊塔」という名が掲げられた、万を超える魂が眠る納骨堂−−−」と小鹿島更生園の情景を描写し、苛酷な被害実態を、悲しみといきどおりをもって語りました。「私もつれていって」と彼女に手をさしのべた原告の姿を、満員の傍聴者もまた等しく、脳裏におもいえがいたに違いありません。静かな法廷の中で、こらえかねたようにハンカチを目にあてる傍聴者もありました。

最後に、水口弁護士が、国の準備書面の矛盾と破綻を述べました。補償法の趣旨、告示への委任の趣旨から、国の主張の矛盾を批判し、また、小鹿島更生園が国が設置した療養所であったかどうかすら、答えようとしない国に対して、再度の回答を迫りました。

法廷後、場所を弁護士会館内の講堂に移し、報告集会を行いました。

法廷で意見陳述をした原告が、「私には足もない、手指もない。それが日本政府の責任であることは、天も知っています、地も知っています。それなのに、日本政府は、補償しない、責任がないという。なぜなのですか」と悲痛な声で訴えました。 

また、韓国弁護団の朴団長は、「この訴訟は韓国で新しい動き、新しい運動を起こしつつあります。私たち健常な者は、ハンセン病の患者さんに借りがあると思います。私たちは、韓国でも特別立法をするべきだと考え、研究を始めています」と力強く述べ、参加者から熱い拍手が起こりました。

続いて、台湾楽生院から来た原告が紹介されました。かすれた声で、参加者に向け、日本政府の統治時代、刑務所のように厳しい管理体制がひかれたことを訴え、なぜ同じ日本の統治だったのに、我々には補償されないのかと、国の対応を批判しました。

また、台湾の馬弁護士は、大勢の支援者がいることに力づけられたことを述べ、台湾でも運動をもりあげていきたいと、述べました。

国をこえ、地域をこえて、多くの人の気持ちがひとつに集まるのが実感できた1日でした。

第3回弁論は、2月4日午後4時からです。



第1回口頭弁論レポートをみる

ダイアリーをみる