2005年8月29日楽生院訴訟弁論期日

期日・集会案内
8月29日楽生院裁判結審期日報告
「この裁判では何が争われたか」水口弁護士の集会発言再録

8月29日は、楽生院の裁判の原告本人尋問と結審の日になります。

 13:30   弁護士会館1階集合・入廷行動と署名提出
 14:00〜17:00 楽生院原告本人尋問&結審弁論(103号法廷)
 18:30〜      集会(弁護士会館2階 講堂クレオ)

● 集会のご案内

「ソロクト・楽生院裁判を勝たせるつどい」
日時 8月29日   開場6時  開始6時30分
場所 弁護士会館2階 講堂クレオ
     住所〒100−0013 東京都千代田区霞が関1-1-3 

主催 ソロクト・楽生院ハンセン病補償請求訴訟支援連絡会
連絡先 042−540−1742(ハンセン国賠東日本弁護団)


8月29日楽生院裁判結審期日報告

 

 昨年の8月に始まったソロクト裁判ですが、一年を経て、楽生院訴訟も結審を迎えました。一連のソロクト、楽生院裁判の最後の弁論です。この日も、傍聴席は満席。来たる判決に向けて、胸が高鳴ります。

 最初は、楽生院入所者であるWさんの尋問です。もともとガキ大将だった彼の人生は、ハンセン病にかかることで一変してしまいます。彼の自宅に、警察官や衛生省の役人がやってきては、楽生院に入所するように言います。Wさんは、彼らがやってくるたびに、サトウキビ畑に隠れて泣きました。ある日の未明、警察官が、予告なしにやってきて、Wさんは、自宅から連れ出されました。家族との別れに際し、15歳の少年の胸は「張り裂けんばかり」でした。お召し列車に乗せられ、そして、歩いた跡がずっと消毒されたことを見た彼は「死んだ方がましだ。」と思います。楽生院で待っていたのは、治療ではなく土木作業でした。彼は、寂しさで、毎夜寝る前に、涙にくれていました。ある日、院内の仲のよかった友人から「ここに来たらもう出られないよ。」と教えられました。絶望的な話でした。彼は、断種手術の様子や、堕胎された胎児の標本を目にしました。「ハンセン病の患者を減らすため」彼も、自分たちを抹殺しようとしている、その意図を認識していました。院内では餓死者が続出し、彼は、自宅に逃げ帰ります。家族は、彼を暖かく迎え入れました。しかし、すぐに警察官がやってきます。楽生院に連れ戻された彼は、殴打され監禁室に入れられました。戦後になっても、彼は、院を出ることを許されませんでした。彼の入所後、家族は、村八分に遭っていました。そのため、親族名簿から彼の名前は削除されてしまいました。大勢の甥姪と会うことはあっても、声をかけたりはしません。ハンセン病者というコンプレックスが、このような行動をとらせたのです。彼は言います。「強制収容をされなければ、たぶん家庭をもっていたでしょう。」ハンセン病隔離政策がなければ、彼にどんな人生が開けていたでしょうか。我が国のハンセン病隔離政策が、まさに海を越えて、台湾でもたらした人生被害のいったんでした。

 続いて、徳田弁護士が、結審にあたって、意見陳述を行いました。「原告らの願いは、日本国内の療養所の戦前のみの入所者と平等に扱ってほしいという・・・実にささやかなつつましい願いです。・・・わが国の国会は、「我らは、これらの悲惨な事実を悔悟と反省の念を込めて深刻に受け止め深くお詫びする」と・・・謝罪しました。今、司法に求められているのは、この異例とも言うべき立法者の痛切な思いをどう受け止めどう生かすのかということだと思います。」

 そして、判決期日が指定されました。楽生院訴訟の判決は、10月25日午前10時30分。なんと、ソロクト判決の30分後です。10月25日、連勝して、見事な秋晴れを期待しましょう。

 夕方6時30分からは、日弁連会館において「韓国ソロクト・台湾楽生院裁判を勝たせるつどい」が開催されました。200人くらいは集まったものと思います。

 ソロクトからはチャンギジンさんら二人の原告、そして、楽生院からは陳石獅さんが壇上に上がり、お話をされました。陳さんは、「この裁判を通じて、私たちには人権があることが、よく分かった。」と話され、裁判の勝利とともに、楽生院の移転問題についても闘っていく決意を表明されました。

 韓国弁護団のハン弁護士は、「10月25日は、必ず勝訴する。みんなでお祝いをしたい。」とエールを送りました。台湾弁護団の呉弁護士は、「10月25日の勝訴判決は、台湾のハンセン病差別、偏見をなくす大きな第一歩となる。」との期待を表明されました。

 徳田弁護士からは、「大風呂敷」と自嘲しながら、「判決前夜の24日に、1000人集会をやりたい。それでこそ、翌日の勝訴判決を受けて、厚労省を包囲できる。その勢いで、厚労相面談、そして、控訴断念を勝取りたい。」という行動提起がありました。

 これを受けて、支援者から、「徳田弁護士に、大風呂敷を広げさせるままにしておくわけにはいかない。何が何でも、二連勝して、控訴断念を勝取るために、今日までの数倍の努力を結集して、徳田弁護士の風呂敷で包もうではないか。」という力強い決意表明がありました。

 いよいよです。24日、判決前夜大集会、判決、厚労省包囲・・・、そして控訴断念。24日夜、東京で会いましょう。



〜この裁判では何が争われたか〜
 水口真寿美弁護士の集会発言再録

(不正確な点を一部修正して再録しました)

はじめに

  本件訴訟において、原告らは、小鹿島更生園や台湾楽生院の入所者に、ハンセン病補償法に基づく補償金が支給されるべきであり、厚生労働大臣の不支給決定は取り消されるべきだと主張しています。
  ハンセン病補償法は、我が国の隔離政策を断罪した熊本判決を受けて議員立法によって制定された法律です。補償法は、その前文で「ハンセン病療養所入所者等がこれまでに被った精神的苦痛を慰謝する」とその立法趣旨を明かにしています。
  小鹿島更生園と台湾楽生院は、わが国が、日本本土における絶対隔離政策を植民地にも貫徹する目的で設置したハンセン病療養所です。
  占領下のこれらの療養所では、強制入所、強制労働、断種、堕胎など、熊本判決が日本のハンセン病療養所の被害実態として指摘したのと同質の被害があり、植民地という要素も加わり、その被害の悲惨さは、日本本土以上であるとさえ言えます。
  日本国の隔離政策によって、同じ被害を受けたハンセン病療養所の入所者でありながら、同じ補償を受けられない、そんな不平等があってよいのか。
  この正義の問いかけがこの訴訟の本質です。

厚生労働大臣告示1号の該当性

 原告らは、この正義の問いかけを、厚生労働大臣告示とハンセン病補償法の解釈論として展開しています。

 第1は、厚生労働大臣告224号示1号に該当するという主張です。
  補償法は、補償の対象となるハンセン病療養所について「国立ハンセン病療養所等」とのみ規定して、具体的な特定は厚生労働大臣に委ねました。これを受けて規定されたのが、厚生労働大臣告示224号です。
  原告らは小鹿島更生園と台湾楽生院が、この告示1号に規定する「明治40年法(旧癩予防法)3条1項の国立癩療養所」に該当すると主張しているのです。

  告示1号に規定する「旧癩予防法3条1項の国立癩療養所」とは何か。
   まず、「国立癩療養所」の定義が問題となります。しかし、旧癩予防法は定義規定を置いていませんから、これは文字どおり「国が設置した癩療養所」という他はありません。
 では、「旧癩予防法3条1項の」という限定は何を意味するのか。旧癩予防法3条1項は「行政官庁ハ癩予防上必要ト認ムルトキハ命令ノ定ムル所ニ従ヒ癩患者ニシテ病毒伝播ノ虞アルモノヲ国立癩療養所又ハ第四条ノ規定ニ依リ設置スル療養所ニ入所セシムベシ」と規定しています。
 旧癩予防法3条1項は、我が国の絶対隔離政策に法的な根拠を与えるところに意義を有する規定であるというのがその答えです。
 1907年、「癩予防ニ関スル件」(明治40年法律第11号)に始まったわが国の隔離政策は、当初は療養の途、救護者のない者を隔離の対象としていましたが、1925(大正14)年の衛生局長の通牒(衛発120号)により、隔離の対象者をすべての患者に拡大し、1930(昭和5)年には「癩の根絶策」を明らかにして、相対隔離政策からすべての癩患者を隔離収容する絶対隔離政策への転換を図ったのです。
 この絶対隔離政策に法的根拠を与えたのが、1931(昭和6年)に、明治40年法律第11号を改正して制定された旧癩予防法です。
   従って、告示1号にいう「旧癩予防法第3条第1項の国立癩療養所」とは、「旧癩予防法の施行当時のわが国のハンセン病隔離政策に基づいて、ハンセン病患者を隔離するために、国が設置したハンセン病療養所」という他はありません。


 小鹿島更生園や台湾楽生院が、日本本土における絶対隔離政策の遂行と連動し、国によって設置されたハンセン病療養所であることは歴史的経緯に明らかなのです。
 韓国における隔離政策の根拠規定は、朝鮮癩予防令ですが、これは天皇に直隷する日本国の機関である朝鮮総督が勅裁を得て公布したもので、内容はもとより規定ぶりまで旧癩予防法を踏襲し、旧癩予防法と同視することができます。台湾に至っては旧癩予防法それ自体が適用されていました。そして、小鹿島更生園も台湾楽生院も設置は天皇の勅令によるのです。
 運用上も、例えば、大阪府警察本部発行の「大阪府警察史」によれば、1938年に発生した「癩患者窃盗団事件」において、「比較的軽症と認めうる5人の身柄は朝鮮釜山警察署へ引渡した。被疑者A以下10人は、岡山県長島癩療養所へ、被疑者B以下22人は朝鮮小鹿島癩療養所 へそれぞれ送致収容した」と記述されています。 また、内務省が開催した「官公立癩療養所所長会議」には、長島愛生園等の国立癩療養所の所長等と並んで小鹿島更生園、台湾楽生院の所長が正式メンバーとして出席し、 療養所収容定員、職員定員比較表等では、内地の各国立療養所と同列に小鹿島更生園や台湾楽生院が記載されているのです。
 小鹿島更生園と台湾楽生院は、旧癩予防法施行当時のわが国のハンセン病隔離政策に基づいて、国が設置したハンセン病療養所に他なりません。従って、小鹿島更生園と台湾楽生院が告示1号に該当することは明白です。

  これに対し、被告は、告示1号に規定する「旧癩予防法3条1項の国立癩療養所」とは、「国立癩療養所官制」に基づく国立癩療養所に限定され、「国立癩療養所官制」とは異なる官制によって設置された小鹿島更生園や台湾楽生院は、告示1号に該当しないと主張しています。
   国の施設の設置には法律上の根拠が必ずあり、その一つが「国立癩療養所官制」ですが、被告はこの「国立癩療養所官制」に基づいて設置されたハンセン病療養所のみが告示1号の規定する「旧癩予防法3条1項の国立療養所」だと主張しているのです。
 しかし、 この被告の「国立癩療養所官制論」は、決定的に破綻しています。 なぜなら、宮古療養所、駿河療養所、國頭愛楽園を説明できないからです。 被告は、これらの療養所が告示1号に該当するハンセン病療養所であることを認めていますが、これらは、小鹿島更生園や台湾楽生院と同様、「国立癩療養所官制」とは別の官制に基づいて設置されているのです。
 要するに、「旧癩予防法3条1項の国立癩療養所」であるためには、旧癩予防法施行当時のわが国のハンセン病隔離政策に基づいて、国が設置したハンセン病療養所であれば足り、その設置根拠の如何を問わないと言わざるをえないのです。

告示1号、2号の類推適用
 
 以上のとおり小鹿島更生園と台湾楽生院は告示1号に該当しますが、どんなに譲っても、告示1号、2号の類推適用が認められることは明白です。
   告示2号は、告示1号の「国立癩療養所」と「同視することが相当」と認められるハンセン病療養所として、県立のハンセン病療養所、日本の施政権外の(米国海軍政府下の)ハンセン病療養所を規定しています。これらが告示1号の国立癩療養所と同視されるというのであれば、より強い理由で小鹿島更生園や台湾楽生院は国立癩療養所と同視されるはずです。
   また、告示4号は、琉球政府が設置したハンセン病療養所及び琉球政府が指定した政府立病院を規定していますが、これらは、わが国のハンセン病隔離政策とは異質の退所規定や在宅治療制度のもとにありました。
   告示5号には私立の療養所が列挙されていますが、ここでは少なくとも強制強制や断種・堕胎は実施されていません。
   それでも、これらの療養所が告示に規定されたのは、わが国の隔離政策の下にあって、同じ時期にハンセン病療養所に入所しながら補償の有無が異なるのは不平等だという考えからです。平等原則は、告示全体に通底する基本原則なのです。
 旧癩予防法施行当時のわが国のハンセン病隔離政策に基づき、勅令によって設置された小鹿島更生園に収容され、告示1号、2号に規定された療養所の入所者以上に過酷な被害を受けながら、補償法の対象とならないという結果はあまりに平等原則に反すると言わざるを得ません。
  
 従って、小鹿島更生園と台湾楽生院に、告示1号または告示2号の類推適用が認められるべきことは明かというべきです。

補償法2条

 では、以上のような告示の解釈論は、補償法2条の委任の趣旨、範囲を超えないのか。
 補償法について、原告らがまず主張しているのは、補償法2条の規定ぶりです。補償法2条は対象となる療養所について「国立ハンセン病療養所等」とだけ規定しています。すなわち、入所の事実だけを要件とし、国籍、居住地、入所時期について一切の制限を規定せず、対象となる療養所についての限定もしていません。
  補償法2条のこの規定ぶりと、「ハンセン病療養所入所者等がこれまでに蒙った精神的苦痛を慰藉する」と前文に明記された補償法の立法趣旨に照らせば、補償法は、わが国の隔離政策の下で設置されたすべてのハンセン病療養所を対象とし、特定の療養所を除外する趣旨を含んでいないと解するのが当然の解釈です。

  これに対し、被告は補償法2条は植民地の療養所を含まないと主張しています。その根拠として被告が第1に主張するのは法の制定過程です。被告は補償法の制定過程で対象から除外されていたと主張しています。緻密な告示の解釈論争で破綻した被告は、告示の解釈がどうあれ、もともと補償法は、小鹿島更生園や台湾楽生院を除外して制定されたとくり返し述べて必死の抵抗を試みているのです。
   しかし、草案の起草から国会の審議に至るまで、小鹿島更生園や台湾楽生院を除外するという議論は一切なされたことはありません。
   確かに、植民地の療養所を対象とするということが積極的に確認されたこともありません。しかし、それは厚生労働省の調査が未了で、その実態が明らかでなかったからに過ぎません。国会審議の過程で、桝屋副大臣は、植民地の療養所について、厚生労働省として調査未了であり、「検証するための委員会、この活動の中で考えていくべきだ」と答弁しています。この答弁は、調査の結果、植民地の療養所の入所者がわが国の隔離政策の被害者であると言えれば、補償法2条の対象とする余地を残すものです。そして、「ハンセン病問題に関する検証会議」は、植民地の療養所がわが国の隔離政策の下にあった旨の報告書を出しているのです。
   以上に照らせば、法の制定過程から補償法2条の適用を否定する被告の主張の誤りは明白です。

  被告が、補償法の適用を否定する根拠として第2に主張するのは、補償法2条は、昭和28年らい予防法により設置された国立ハンセン病療養所とその前身、連続、代用と位置づけられるハンセン病療養所のみを補償の対象としたとする理論です。小鹿島更生園も台湾楽生院も、昭和28年法により設置された国立ハンセン病療養所との関係で、前身性、連続性、代用性が認められないから補償法の適用はないと主張するのです。
 しかし、草案の起草過程はもとより、法案を審議した国会議事録を精査しても「前身」「連続」「代用」といった議論がなされたことは一切ありません。被告の主張は根拠のない主張と言わざるを得ないのです。

  他にも被告は、熊本判決や、外地法と内地法の峻別等を主張していますが、いずれも熊本判決の意義や行政法上の基本的知識を欠いた主張であり、その主張は破綻していると他はないのです。

おわりに

  最後に、被告の応訴態度の一端をご紹介致します。
  本件訴訟における原告数は小鹿島更生園関係が117名、台湾楽生院関係が25名です。そのほとんどの原告が、韓国、台湾の弁護団と日本の弁護団の共同作業のもと、陳述書を提出しています。そこには、日本の隔離政策のもとで、日本本土と同質のそしてそれ以上に過酷な被害を受け人生を奪われた原告らの悲惨な歴史が綴られています。
 既に述べたように、「同じ日本国の隔離政策によって、同じ被害を受けたハンセン病療養所の入所者でありながら、同じ補償を受けられない、そんな不平等があってよいのか」この正義の問いかけがこの訴訟の本質です。ですらから被害実態を直視せずに、この訴訟の本質と向き合うことはできません。
 しかし、被告は被害実態は争点ではないとして結局、認否をしませんでした。
  国は熊本判決が確定するまで、隔離政策の被害を被害として認めず、歴史を隠蔽してきました。今、この訴訟において、被害実態などは争点ではない、そんなものは認否の必要がないと主張して、再び歴史を隠蔽する過ちをくり返しているのです。
  以上のとおりですから、何としてもこの訴訟は勝たなければなりません。そして再び控訴断念を勝ち取らなければなりません。ともに闘う決意を新たに私の報告を終わります。
以上