82歳 男性

入所
懲罰
 生活と医療 
監禁

周防園長の銅像の写真

入所
私は、昭和16年、20歳の時にソロクトに来ました。周防園長のときでした。
家は農家でした。故郷で暮らしているときに家に警察の人が来ました。南にソロクトというところがあるので行かないかというのですが私は断りました。すると2年後にまた来ました。私の家は貧しく、私が家にいることで兄弟の結婚に支障が生じることもあったので仕方なく私は行くことにしました。
決められた日に出向くとトラックに乗せられ、釜山まで連れて行かれ、釜山からは船でソロクトに来ました。故郷を出てソロクトまで3日ほどかかりました。
ソロクトでは、レンガ作り、カマス作り、松ヤニ取りなどいろいろなことをしました。作業のために手に傷を作ったりしました。今もその傷は残っています。園内の公園も私たちが作りました。そこに周防院長の銅像が立てられて、私たちはそこで参拝させられました。周防院長を恨んで院長を刺し殺した人がいました。

懲罰
ソロクトでの懲罰には、冷たい水をかけられたり、打たれたりなどたくさんありました。作業に出て行かなかったりすると、本当に病気だとわからない限り仮病とされて懲罰を受けました。監禁された人の中には断種された人もたくさんいました。
日本人の職員に佐藤という看護長がいました。佐藤というのはひどい人で、しょっちゅう入園者を打ったりしていました。佐藤は私たちを獣のように扱いました。当時島の松の木は松根油をとったりする大切な資源とされていましたが、佐藤は私たちに「お前たち10人よりも山にある松の木1本の方が大事だ」と言っていました。

生活と医療
食べ物もなかったし、薬もありませんでした。私たちは傷が一度できると治らないし、化膿したりして、傷がひどくなりすぎたりします。それで私の手足もこんなに不自由になってしまいました。包帯をしても、作業をするとすぐに取れてしまい、傷もすぐに広がってしまいました。
入園者の中には日本人の医者に注射をされて神経が引きつれてねじれて死んだ人が何人もいました。診察を受けに行ってこんな目にあった人がいるので、こわくて診察には行けませんでした。これは何か研究のための注射だったと思います。でも私たちには何の説明もないのでそれがいったい何だったのかは今でもわかりません。それで20人くらいは死んだと思います。みんな人体実験だと噂していました。
医者や看護婦が日本人であると診察を受けに行っても日本語でしゃべらないと診察してくれませんでした。日本語は強制的に覚えさせられました。

監禁
私も1度だけ監禁されたことがあります。当時入園者には毎日神社の参拝に出ることが強制されていましたが、私はそれがいやで出なかったのです。私はクリスチャンでしたから神社参拝は私の信条に反していました。それがわかって1週間監禁されました。そのとき私はまだ若かったので打たれたけれどあまりひどくはありませんでした。監禁室での食事は、何もくれなかった日もあるし1食だけのときもありました。床はセメントで冬は寒かったです。それ以後は参拝に行くようになりましたがおじぎはしませんでした。見張られていたので、もし見つかればまたやられたと思いますが、見つからないようにしていました。
ソロクトの話をしようと思うとどれだけ時間があっても足りません。辛いことがたくさんありました。私は今の日本の人たちには何も思いません。あの時代の人たちが悪かったのです。私はクリスチャンだから今は日本の人たちのために祈っています。