台湾楽生院

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訴 状

請求の趣旨
請求の原因
第1 当事者
第2 補償請求とその棄却
第3 ハンセン病補償法の趣旨とその特徴
第4 行政院衛生署楽生療養院の沿革とその実態
第5、本件決定の取消原因

請 求 の 趣 旨

1.被告が2004年10月22日、原告らのハンセン病療養所入所者等に対する補償金の請求に対してなした不支給決定を取消す。

2.訴訟費用は、被告の負担とする

との判決を求める。

請 求 の 原 因

第1、当事者

1.原告ら

  原告らはいずれも、日本統治下における台湾に設置された「台湾総督府癩療養所楽生院」(以下、「楽生院」という。)に入所していた者であり、その入所年月日は、別紙一覧表に記載したとおりである。

2.被告

(1)国は「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」(以下、「ハンセン病補償法」という。)に基づき、ハンセン病療養所入所者等に対し、その者の請求により、補償金(以下、「ハンセン病補償金」という。)を支給する義務を負っている。

(2)被告は、同法施行規則第3条に基づき、ハンセン病補償金の請求者に対し、その支給の可否を決定し、これを通知する権限及び責務を負うものである。

第2、補償請求とその棄却

1.原告らは、2004年8月23日、被告に対し、ハンセン病補償法に基づく補償金の支給を請求した。

2.被告は、同年10月22日、原告らの請求に対し、「楽生院」入所者は、同法にいうハンセン病療養所入所者等に該当しないとして、不支給の決定をした。

  同決定は、同年10月23日原告らの代理人に通知されている。


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第3、ハンセン病補償法の趣旨とその特徴

1.法制定に至る経緯

  ハンセン病補償法は、日本のハンセン病隔離政策とその法的根拠となった「らい予防法」が憲法違反であるとして、国会と政府に対する国家賠償法上の賠償責任を認めた熊本地裁平成13年5月11日判決が確定したことを受け、議員立法として第151回国会に法案提出され、同年6月22日法律第63号として公布されたものである。

2.ハンセン病補償法の趣旨

(1)前文の存在とその意義

      ハンセン病補償法前文は、同法の趣旨を明確にしている。

   前文は、先ず「わが国においては、昭和28年制定の「らい予防法」においても、引き続きハンセン病の患者に対する隔離政策がとられ」たとしたうえで、「ハンセン病の患者であった者等にいたずらに耐え難い苦痛と苦難を継続せしめるままに経過し」たと述べている。すなわち、前文は、同法が補償すべき対象が、昭和28年制定の「らい予防法」(昭和28年法律第214号、以下「らい予防法」という。)以前から継続されてきた隔離政策による被害であることを明らかにしたうえで、「ハンセン病の患者であった者等のいやし難い心身の傷跡の回復と今後の生活の平穏に資することを希求して、ハンセン病療養所入所者等がこれまでに被った精神的苦痛を慰謝する」という同法の趣旨を明らかにしているのである。

   さらにハンセン病補償法前文には、「我らは、これらの悲惨な事実を悔悟と反省の念を込めて深刻に受け止め、深くおわびする」との立法者の意思が示されており、同法がこうした「悔悟と反省」に基づき、らい予防法廃止に至るまで継続された隔離政策によって被害を受けたすべての人に対する慰謝として補償金を支給する趣旨であることを明らかにしている。

(2)同法による補償の対象と告示224号

   同法第2条は、同法によって補償金を支給される「ハンセン病療養所入所者等」とは、「らい予防法が廃止されるまでの間に、国立ハンセン病療養所その他の厚生労働大臣が定めるハンセン病療養所に入所していた者」であって、「この法律の施行の日において生存しているもの」と定義している。

      同条を受けて、厚生労働大臣は、2001年6月22日、厚生労働省告示第224号により、同法によって補償金を支給されるハンセン病療養所の範囲を次のように定めた。

      @ 癩予防法(1931(昭和6)年法律第58号によって改正された「癩予防ニ関スル件」(明治40年法律第11号)、以下1953(昭和28)年制定の「らい予防法」と区別するため「旧癩予防法」という。)第3条第1項の国立ハンセン病療養所及び第4条第1項により2以上の道府県が設置した療養所(同告示1号)

      A 前号の国立ハンセン病療養所と同視することが相当と認められる療養所

     「癩予防ニ関スル件」(明治40年法律第11号)の改正によって、同法の国立ハンセン病療養所と認められるまでの間の長島愛生園(同告示2号イ)

         国に移管されるまでの間における沖縄県立国頭愛楽園及び沖縄県立宮古保養院(同ロ)

         旧癩予防法の国立ハンセン病療養所であり、米軍の占領下に米海軍布告によってハンセン病療養所として維持された時代における国頭愛楽園、宮古保養院、奄美和光園(同ハ)

      B らい予防法によって国が設置したハンセン病療養所(同3号)

   C 琉球政府がハンセン氏病予防法の規定によって設置した、ハンセン病療養所及び琉球政府が指定した政府立病院(同4号)

   D 私立のハンセン病療養所(同5号)

(3)告示224号の趣旨とその特徴

   以上のように、告示224号は、ハンセン病補償法の前文の趣旨に基づき、日本の隔離政策によるすべての被害者を支給対象とすべく、支給要件である入所施設、すなわち「ハンセン病療養所」を広範囲に定めたものである。

     そして、その特徴は、次の3点にある。

   第1は、国立、公立、私立といった運営主体を問わず、かつ、入所時期についてもハンセン病療養所に戦前においてのみ入所した者をも、補償金支給の対象としていることである。

     第2は、日本の施政権の及んでいない時期におけるハンセン病療養所への入所者をも対象にしていることである。

      第3は、国籍、現在の居住地について一切の制限を設けていないことである。

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第4、行政院衛生署楽生療養院の沿革とその実態

1.台湾における日本国内法の原則的適用

(1)1895(明治28)年4月17日、日清戦争の講和条約が結ばれ、清より台湾が日本に割譲された。

(2)1895(明治28)年、日本は、台湾に台湾総督府を設置し、台湾総督府に台湾総督をおき、ついで「臺灣ニ施行スヘキ法令ニ関スル件」(明治29年法律第63号、いわゆる六三法)により、「臺灣総督ハ其ノ管轄区域内ニ法律ノ効力ヲ有スル命令ヲ発スルコトヲ得」(第1条)と定めて、台湾総督に委任立法の権限を付与した。

この委任立法は「律令」と呼ばれ、当初台湾総督府評議会の議決を要するものとされていた。

その後、「臺灣ニ施行スヘキ法令ニ関スル件」という同一の名のもとに、「三一法」(明治39411日法律第31号)、「法第三号」(大正10314日法律第3号)が定められた。三一法では、評議会官制の廃止と同時に律令審議会章程が制定され、律令案は総督を議長とする律令審議会に諮問することに改められ、ついで1921(大正10)年、法第三号により、律令審議会章程の廃止と共に、その諮問も要しないことに改められ、律令制定に関してはいかなる議決機関または諮問機関も経ず、天皇の勅裁のみによって効力を有するものとなった。

法第三号は1条に次の通り定めている。

第1条 法律の全部又は一部を台湾に施行するを要するものは勅令を以て之を定む

前項の場合に於て官庁又は公署の職権、法律上の機関其の他の事項に関し台湾特殊の事情に因り特例を設くる必要あるものに付ては勅令を以て別段の規定を為すことを得

(3)このように台湾においては内地法施行原則主義をとったために、台湾総督府を介さず、天皇の勅裁によって、ただちに、日本の法令がそのまま台湾にも適用されることとなった。

2.楽生療養院の沿革

(1)現行政院衛生署楽生療養院は、1930年(昭和5年)10月1日、勅令第183号によって、台湾総督府癩療養所楽生院(以下「楽生院」という)として設置された。

      楽生院の開設は、日本国内におけるハンセン病患者の絶対隔離絶滅政策の中心的な立案・推進者である光田健輔による台湾総督に対する「臺灣癩予防法制定ニ関スル意見書」(総督が伊沢多喜男であった1924〜1926年に提出されたもの)を受けたものであり、日本本土において展開された徹底した強制収容・終生隔離を念頭においたものであった。

   台湾総督府は、同年12月22日よりハンセン病患者の収容を開始し、翌1931年(昭和6年)からは、警察吏の申告を受け、職員を派遣しての集団収容を開始した。これにより同年4月末には開設時定員100名を突破するに至った。

(2)1934年(昭和9年)6月15日、勅令第164号として「癩予防法臺灣施行ニ関スル法令」が、また同年9月22日、台湾総督府令第66号として「癩予防法施行規則」が公布され、いずれも同年10月1日より施行された。

 これらはいずれも前項に述べたとおり、天皇の勅裁によって、直接日本の「癩予防法」、同法施行規則を台湾にも適用するものであった。

   現に、勅令第164号は、「行政諸法臺灣施行令」(大正11年勅令第521号)を改正し、同勅令第1条「左ニ掲クル法律ハ之ヲ臺灣ニ施行ス」の掲げる法令に「癩予防法ヲ加フ」というもので、まさしく日本国内の癩予防法(1931年(昭和6年)4月2日改正)を、台湾向けに読み替えた(道府県を州・廰に、市町村長・市町村を市尹・街庄長・市街庄に読み替え、国庫補助金の割合を増やした)に過ぎない。

   同じく、「癩予防法施行規則」も、日本国内の癩予防法施行規則(内務省令第16号、同年7月15日)を台湾の行政区にあうように読み替えただけのものであった。

これらの法令の施行により、ハンセン病患者に対する台湾における強制隔離政策は法的根拠が整備されるに至り、これ以降、台湾総督府は、楽生院の定員を増員し、台湾全土のハンセン病患者の強制収容を押し進めていった。すなわち、法令が施行された1934年(昭和9年)の定員は115名であったが、翌年には倍の227名に増え、それ以降、毎年100名の定員増員がなされ、1939年(昭和14年)には700名に達している。

   また、法令公布に先立つ1933年(昭和8年)6月23日、台湾癩予防協会が設立され、翌月14日に社団法人としての認可を受け、事務所を台湾総督府警務局衛生課内に置き、事業を開始した。その設立趣意書には「官民一致協力」して「癩予防絶滅事業促進」する目的を掲げており、会長に総督府総務長官、副会長に同警務局長及び文教局長が就任している。

   同協会が最も重視したのは、「癩予防撲滅」をスローガンに掲げた宣伝活動である。従来台湾の人々はハンセン病に対して比較的寛容で、総督府周辺においても健常者に混じってハンセン病患者が働いている様子が散見されていた。そのため、総督府ならびに予防協会は、ハンセン病が伝染力の強い不治の伝染病であることを徹底的に宣伝することに重点をおいた。そのため、毎年6月25日を「癩浄化日」と定め、台湾全土において映画フィルム上映、パンフレット、ビラ、ポスターの配布、ラジオ放送、講演会等の活動を展開し、住民に対し、ハンセン病への恐怖感を植えつけていった。

   これは正に日本本土における強制隔離政策を忠実になぞったものであった。

(3)楽生院は、日本の敗戦によって、日本政府が台湾における施政権を失った1945年8月まで国立ハンセン病療養所として存続したものである。

3.楽生院での隔離被害の実態

(1)楽生院においても、日本国内におけるハンセン病強制隔離政策と同様に強制収容、労働の強制、断種・堕胎等の優生政策の徹底、懲戒検束等の絶対隔離・絶滅政策が行われた。その詳細は、追って準備書面で明らかにするが、その概要は以下のとおりである。

(2)強制収容

   植民地時代の台湾においても、日本国内と同様に強制隔離政策が取られ、強制収容が行われた。その強制収容の過程では、前述のとおり台湾癩予防協会を中心とする強烈な「癩予防撲滅」キャンペーンが展開され、ハンセン病が恐ろしい伝染病であるという誤った認識が、広く喧伝され、住民や医師、教師による通告を受け、警察権力の手を借りて、台湾全域及びあらゆる階層から患者が収容された。

   台湾における強制収容の特徴としてまず指摘できるのが、住民一斉検診及び患者一斉収容である。すなわち、台湾全土の各地域において警察権力による「住民一斉検診」が実施され、しらみ潰しにハンセン病患者をあぶり出した。検診によってハンセン病と診断された患者は、地域の衛生署に登録され、定まった収容の時が来ると、警察官と地域の役人が抜き打ち的に患者の家を訪れ、有無を言わさず患者を引き立てて収容列車や収容船に乗せ、一斉に収容した。

   まず遠くは台湾本島の南に浮かぶ澎湖島等の島嶼から収容船で多数の患者が連行され、台南に上陸すると、高雄の駅から楽生院のある台北まで、患者のみを乗せる貨物列車である「お召し列車」に詰め込まれ、各駅ごとにその地域から連行された患者を詰め込んでいき、こうして集めた多数の患者(時には百名単位に及んだ)を一斉に楽生院に収容した。

この一斉収容の過程において、患者は地域住民の目の前で連行され、駅では患者の歩いた場所や患者の降りた車両がことごとく消毒された。

   このような強制収容は、日本においてそうであったのと同様に、台湾の社会内にハンセン病に対する恐怖心を植え付け、ハンセン病についての偏見やハンセン病者に対する根強い差別感情を増幅させていった。このため、多くの収容者は、収容によって人生を奪われ、自己実現の機会を喪失し、その人格権を多大に侵害されたのみならず、故郷の家族との断絶を強いられ、1960年代に台湾において法的な強制隔離政策が廃止された後にも、故郷に帰ることを不可能とされた。

      こうして、原告らは、現在においてもなお、楽生院ないしその周辺において生活する以外に生活の道が閉ざされてしまっている。

(3)作業の強制

   楽生院は開設当初より、人的資源に乏しく、入所者が重症患者の看護・介護、医療行為補助等の医療行為をはじめ、療養所を設営するための様々な作業を担うことが当然の前提とされていた。

   そのため、入所者には数々の労働が強いられ、感覚障害を持つ入所者らは、過重労働や怪我のために手足に重度の後遺症を残し、あるいは重大な事故により四肢の欠損がもたらされるなどして、生命の危険にもさらされた。作業賃は小遣い銭になる程度のものであった。

   医療従事者の不足は、日本の療養所よりも深刻な状態にあった。この中で、軽症患者には付き添い看護が強制された。また看護助手、医師の作業助手なども入所者の一部が担っていた。

   院内で死亡した患者は、解剖された後、院内に設けられた火葬場で火葬されたが、解剖の助手は患者が務め、火葬は患者の仕事であった。

(4)断種・堕胎

   楽生院では、日本国内における国立療養所と同様に、結婚の条件として男性に断種が強制され、また妊娠した女性に対しては堕胎が強要された。

(5)懲戒

   楽生院では、日本国内における国立療養所と同様に、施設長に懲戒検束権が与えられ、入所者には厳しい規則が課されていた。

      設立当初から敷地内に監禁室がおかれ、規則に違反したものは、しばしば監禁され、殴られることもあった。

(6)医療等の貧困

   楽生院は、療養所とは名ばかりの施設であり、入所者には様々な労働が課される一方、その医療体制は貧困で、入所者数に比して、医療従事者の人数は極めて少なく、十分な医療は施されなかった。

      また第二次世界大戦末期になると、食糧事情はいよいよ貧困となり、入所者はみな飢餓状態に陥り、数多くの入所者が飢餓のために死亡した。

(7)まとめ

   以上のような権利侵害の実態に鑑みれば、楽生院の入所者らは、日本本土におけるハンセン病療養所の入所者らと同じく、日本の強制隔離政策によりその人権を著しく侵害された被害者であり、その被害の実態も、日本本土の療養所の入所者の被害と何ら変わりないということができる。したがって、ハンセン病補償法の立法趣旨に照らしても、これらの台湾における被害者に対して司法に基づく補償を行わないとすることは、公平の観念から著しく逸脱するものであり、法の下の平等に反するものである。

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第5、本件決定の取消原因

  以上に述べたところから、楽生院をハンセン病補償法2条にいう「国立ハンセン病療養所等」に該当しないとして、原告らの請求に対し、これを不支給とした原決定は違法であって取消されるべきである。

  その理由を整理して要約すれば以下のとおりである。

 1.告示224号1号の解釈の誤り

(1)同告示1号は、「旧癩予防法第3条1号の国立癩療養所」と規定している。

      ところが、昭和6年法律第58号によって改訂された同法第3条1号には、ハンセン病患者で、伝染のおそれある者を「国立癩療養所に入所せしむべし」と定めるのみである。

      したがって、同告示1号の趣旨は、同法施行後に同法により、ハンセン病患者が入所させられることになった国立癩療養所という意味に外ならない。

      つまり、同法施行時に存在していたか、あるいは、それ以降に同法廃止までの間に設立された国立癩療養所であれば足りるということになる。

(2)楽生院は、1930年(昭和5年)10月1日、勅令第183号によって、台湾総督府癩療養所楽生院として設置された療養所であるから、告示1号の国立ハンセン病療養所に該当することは明らかである。

2.告示224号2号の解釈の誤り

(1)同告示2号は、前掲の如く、1号と同視することが相当と認められる療養所として、イないしハの3つの類型の療養所を列記している。

      本件決定は、同告示2号は制限列挙であるとして、楽生院は同2号にも該当しない旨判断している。

(2)しかしながら、同告示2号は、例示規定にすぎず、同号に規定された以外に1号と同視することが相当と認められる療養所が他に存在することを排斥するものではない。

      同告示2号が、イないしハの3つの類型のみを規定するに至った事情は、以下の通りである。

      即ち、同告示は、ハンセン病補償法の成立からわずか1週間で定められたものであり、その告示を定めるにあたって、対象とすべきハンセン病療養所の範囲についての調査を尽くす時間的余裕が全くなかったため、日本がその隔離政策に基づいて戦前に「朝鮮」や「台湾」に設立した国立ハンセン病療養所の実態を想起しえなかったのである。

      同法の審議にあたった衆議院厚生労働委員会において、「第二次世界大戦中、占領下の朝鮮半島での隔離政策による元患者に対しても同等に扱うべきだ」との質問に対し、ハンセン病問題担当の桝屋副大臣(当時)が、「戦時中における韓国でのハンセン病の実態は、つまびらかにしていない」として、「(今後、設立が予定されている)検証するための委員会の活動の中で考えていくべきことだ」と答弁しているとおりである。

(3)したがって、同告示2号に例示された類型と同等以上に同告示1号と同視すべき(国立)ハンセン病療養所の存在が明らかになった場合には、同告示2号の規定の形式にかかわらず、同告示2号を類推適用して、ハンセン病補償法2条にいう「国立ハンセン病療養所等」に該当する旨解釈すべきことは当然である。

(4)楽生院は、1930年に日本国によって設立された国立ハンセン病療養所であり、米軍統治下にあって日本の施政権が及ばなかった時代の療養所(同告示2号ハ)以上に、同告示1号の国立ハンセン病療養所と同視すべき療養所であることは明らかである。

(5)以上から、仮に、楽生院が同告示1号に該当しないとしても、同告示2号を類推適用して、補償法2条の「国立ハンセン病療養所等」に該当すると解釈すべきことは争いえないところである。

3.平等原則違反の主張

  仮に、楽生院が告示224号に該当しないとすれば、日本のハンセン病隔離政策によって同じく国立ハンセン病療養所に入所させられた被害者でありながら、「朝鮮」「台湾」等に設立された療養所に入所させられた者のみを、補償の対象から除外する同告示は、ハンセン病補償法の立法趣旨に反し、公平の観念を著しく逸脱し、平等原則に違反するものである。

    したがって、同告示に基づく、不支給決定は取消されるべきである。

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